IE9ピン留め
"Netherland" by Joseph O'Neill
これも去年からの持越し。
オーディオブック "Netherland" by Joseph O'Neill を聞き終える。(8時間40分)
日本語では早川書房からジョセフ・オニール著『ネザーランド』 が出ている。

New York Times Book Review の "10 Best Books of 2008"の一つ。いわゆる「ポスト9・11小説」という位置づけか。ただ、別に9・11がメインテーマではなく、あくまで状況設定の一つといった感じ。アウトサイダーから見たアメリカ・ニューヨークという視点が共感を誘う。オランダ人の主人公ハンス・ファン・デン・ブルックは、大手商業銀行で証券アナリストをやっている。妻で英国人弁護士のレイチェルと幼い息子ジェイクとマンハッタンのトライベッカ(TriBeCa)地区に住んでいたが、同時テロ後はチェルシー・ホテルに移る。落ち着かない非日常的な環境、テロへの不安、そしてアメリカの方向性に対する嫌悪感から、レイチェルはジェイクを連れてロンドンに帰ってしまう。夫婦の間も冷めきっていた。ハンスは月に1~2回、息子に会いに別居中の妻のところに通うようになる。ニューヨークで一人、悶々とした日々を過ごすハンスは、ある日乗ったタクシーにクリケットのバットがあるのに気づく。少年のころ、オランダで打ち込んでいたのを思い出し、思わず運転手に「それ、クリケットのバットですよね?」と聞く。スタテンアイランドにクリケットチームがあると聞き、唯一の白人プレーヤーとして参加するようになる。他のメンバーはコモンウェルス、すなわち、元英国の植民地であったインドやパキスタン、バングラディッシュ、西インド諸島などからの人たち。多くはエスニックレストランなどで働く労働者であった。そこで、カリスマ的でちょっと怪しげなトリニダード・トバゴ人の実業家、チャック・ラムカソンに出会い、親しくなる。ギャッツビーを思わせる人物だ。チャックは、ブルックリンにクリケットのスタジアムを造り、アメリカの国民的スポーツにするという広大な計画をハンスに話す。

この小説は、『グレート・ギャツビー』を意識して書いたのではとの指摘が多い。著者は、「半分くらい書いたところで、『ネザーランド』のプロットが妙に『グレート・ギャッツビー』をほうふつさせるものだと気付きちょっと気が滅入った。夢見る者が溺死して、傍観者が思い出して語る...でもプロットは5つくらいしかないし、フィッツジェラルドは幸いクリケットにはかかわらなかったから、あまり気にしなかったよ」、とインタビューで語っている。

小説で印象的なのが、別居中のハンスが、夜な夜な ニューヨークからGoogle Earth で息子がいるロンドンを上空から「訪れる」場面だ。終りの方では、チャックの訃報を聞き、また家族一緒になったロンドンからGoogle Earth でチャックが整備を進めていたブルックリンのクリケットスタジアム予定地に「降り立つ」。

エンディングシーンは、ロンドンアイ。なんせ旅行で乗ったからよくわかる。乗車前に、スタッフが棒のようなものでカプセル内を「爆弾チェック」することとか、面識のない複数のグループが約30分間、同じ空間にいる微妙な雰囲気とか、登りと下りの外の景色の様子とか...

ジョセフ・オニールは、何とも絶妙なユーモアあふれる文を書く。クリケットがさっぱりわからなくても、楽しめる小説であった。

ところで、子どものころの私にとって、クリケットは「つまらないもの」の象徴であった。イギリスで、3つしかないテレビのチャンネルを休みの日に回して、クリケットくらいしかやっていないと本当にがっかりした。まあ、当時はサッカーもつまらない、野蛮なものだと思っていたが...

そういえば、1月6日付の日経に、”クリケット版「巨人の星」 インドでアニメ放送”という記事が載っていて、笑ってしまった。

以下引用===
 講談社は2012年秋をめどに、野球漫画「巨人の星」をリメーク(再制作)し、インドのテレビ局で放映する。ただ舞台は野球ではなく、インドで人気のクリケット。日本が高度成長期を迎えた1960年代に生まれ、貧しかった主人公がスター選手に駆け上がる作品を現代の成長国インドに投入、幅広い年代の視聴者獲得を狙う。
 ・・・リメーク作品「ライジング・スター」(仮名)は週1回放映する。主人公の名前は星飛雄馬ではなくスーラジで、同じく左腕の投手で魔球を投げる。父はクリケット元インド代表候補だが中間層よりやや所得が少ない建設技術者とし、その息子がスターになる物語の基本線は同じとする方向。
 クリケットは野球と同様、ボールを投打する。インドでもっとも人気のあるスポーツで、子どもは高級住宅地でもスラムでも興じる。

===引用終わり

宿命のライバル花形満役はヴィクラムというキャラクター、魔球「大リーグボール」や養成ギプス、父ちゃんの「ちゃぶ台返し」に当たる設定も盛り込むそうで。



# by over_the_hills | 2012-01-09 22:16 | Audio Books | Trackback | Comments(0)
ポール・コナトン著 『社会はいかに記憶するか』
かなり滞ってしまった。去年からの積み残し。

ポール・コナトン著 芦刈 美紀子訳 『社会はいかに記憶するか―個人と社会の関係』 を読了。原著は "How Societies Remember" by Paul Connerton (Cambridge University Press, 1989)

「文学、神話・宗教学、文化人類学から古今東西の題材を豊かに汲み上げ、社会の記憶と身体・歴史・儀礼をめぐるしなやかで知的刺激に満ちた探究へ誘う、珠玉の一冊。」と紹介されている。面白そうなテーマだなと思って読み始めたら、途中で???。
しばらく固い本から遠ざかっていたから私の脳が軟化したのか?でも何度読んでも日本語が意味をなしていない箇所がところどころ出てくる。わかりたいのにさっぱりわからず、ストレスが募る。こんなのだったら最初から原書を読むんだった。しかし、今更買いなおすのは悔しい。本文187ページと薄い本の割に2,625円であった。本屋を何軒もまわってやっと入手したのに...この怒りをどこにぶつけたらいいのか?翻訳者か?「訳者あとがき」で、”校正にあたって常に的確なアドバイスをくださった”と書かれている新曜社の××さんか?

悶々としていたら、なんと、誰かがスキャンした"How Societies Remember"の全文のPDFをネット上に発見。あんまりきれいではないが、まあ読める。はるか東欧の図書館の蔵書印が押してあってなんか不思議。とりあえずこれで不明箇所を確認できる。

まあ、確かに原文は一つ一つの文が非常に長く、訳しにくい。そして、内容も専門的なため、正確に訳されていても一般の読者にはわかりにくいかもしれない。その点を割り引いても、やはり???な部分がある。そこを原文で読むと、割とすんなり頭に入ってくる。でもまあ、この際日本語版で読み通す。

本書で、フランス革命でルイ十六世が暗殺や投獄や流刑などではなく、「公開処刑」されたことが王朝の原理を破壊したとあった。最近の例で言えば、イラクのフセイン像を引き倒しや、拘束後の元大統領の情けない姿の映像も、同様の効果があっただろう。

その他、興味を引いた内容の抜粋:
・全体主義政権の真の恐ろしさは、人間の尊厳が侵されるだけでなく、過去について二度と適切な証言ができなくなる点にある
・一人の人物について広く知られていることと、知られていないことの差がほんのわずかしかない場合には、利己主義や悪だくみの入り込むすきはなく、何かのふりをすることは起こりえないので、人を騙すこともめったに起こらない
・文書による証拠の限界のひとつは、自分が当然と思っていることをわざわざ文書にする者はほとんどいないところにある
・実験心理学的には、記憶のコード化には三つの重要な要素がある
 - 意味論のコード:もっとも重要。図書館のコードのように一つのシステムに統合
 - 言語コード
 - 視覚コード:簡単にイメージできるものは記憶に留まりやすい
・思考に類似点があるから、呼び起こせるわけではない。同じ集団が一連の記憶に関心があってそれを呼び起こせるから、その記憶はわれわれの心のうちに組み立てられるのである
・三月最後の日曜日は、十四歳になる者が総督への忠誠の誓いを立てる通過儀礼をもって、ヒトラーユーゲントに加入する日であったが、これはキリスト教における信仰告白式を正確に模倣したものである
・記念式典が参加者に神話的事件を思い出させるというよりは、神聖な事件を再現させる
・聖なる発話の本質は、起源以来最小限の変更しか許されなかったことにある
・ほとんどすべての踊りにおいて、マスクの着用者は「亡霊」、すなわち多くの場合死者の魂を象徴する
・口承文化での出来事の正式な回想は標準化された韻律によるパフォーマンスだが、これによって言葉の配置はかなり制約される。音声を表記することで制限がなくなり、記憶が経済化され、今まで記憶術に投資されていた多大なエネルギーが解放され、新しい表現や考えができるようになった。
・どちらも「手で話す」と言われている南イタリア人と東欧系ユダヤ人だが、南イタリア人のジェスチャーはパントマイム(象徴)であるのに対し、東欧系ユダヤ人のジェスチャーは思考過程の道筋の図式化である。
・「具体化(incorporating)」(身体動作)による記憶では、表記(inscribing)による記憶と違って、物質としては存在しないが、習得と実践においてほとんど意識が入り込む余地がない。記念式典であれ、非公式な文化特有の身体動作であれ、遂行を通して初めて保存される。いわば自動化されたものであるがゆえ、批判や評価が容易ではなく、保護された記憶システムとして機能する。


# by over_the_hills | 2012-01-04 06:45 | Books | Trackback | Comments(0)
シーズン終了
今シーズンのサッカーリーグ戦の全日程を終了した。

6月に、身の程知らずにもワンランクもツーランクもレベルの高い新しいチームに移ってから半年。前より一つ上のリーグで、公式戦に参加。ほとんどの試合で交代枠よりベンチの人数が多かったので、出場機会は少なくても仕方がないと思っていた。が、ふたを開けてみると全試合に出場していた。プレー時間は数分から、試合時間の半分くらいまで。まぐれのようなアシストが一回。そして、最終戦はフォワードとしてスタメンに入った。先発メンバーは試合の数日前に発表される。予想外だっただけに、身が引き締まる思いであった。やはり、ベンチスタートとは心構えがちがってくる。前日は医者に行って膝のヒアルロン酸の注射を打ってもらい、夕食もあっさりめの献立にし、ノンアルコールビールにも手を付けず、身も心も万全のコンディションに持っていく。

当日。11月の終わりともなると、朝は冷え込む。天然芝のグラウンドは朝露に濡れ、浮いた球は接地してから急速に伸びるので、みんなでロングパスを蹴りながらフィールドの状態を確認する。ところどころ滑りそうな泥の面や穴もある。

控えメンバーの時はアップもそこそこに、試合前にスクィーズボトルに水を入れたものを用意したりと雑用に追われる。この日は先発組としてアップに専念する。
そしてキックオフ。対戦相手はかなり強いチーム。そうそう楽にはやらせてもらえない。
最初のチャンスが来た。スペースに出されたボールを受けドリブル1対1でゴールに向かうが、ディフェンスにカットされ、コーナーキックになる。セットプレーは成功せず。前半の途中で交代し、ベンチに下がる。リーグのルールでは、選手交代は何度でも出入り自由。後半の一番最後の時間帯で、今度はサイドハーフで出る。しかし力及ばず、こちらの負けで試合終了。
あー、もっとできるかと思ったのに。コーチには、「よかったよ。タスクはちゃんと果たした。あとは自分でシュートを打てればもっといい」、と一応ほめられたが。得点につながらないとなあ。

来季に向け、精進あるのみ。
# by over_the_hills | 2011-12-01 22:39 | Diary | Trackback | Comments(0)
Pain in the Knee
膝が痛い。
この間バスケをやったのが一番よくなかったのだろう。そのあとチームのサッカーの練習に加え、平日のサッカーのおけいこ、祝日にもサッカーの予定を入れてしまい、ちょっと膝に負担を掛けすぎていた。運動後は家に帰ってから氷をビニールに入れたものでアイシングを長めにする。試合までに回復させねば。都リーグの最終戦前は会社でも冷やそうと、近くのコンビニに手頃なものがないか探しに行く。ラミネートパック入りの凍ったドリンクがアイシングにちょうどいいとどこかで読んだが…最寄りの小さなコンビニではそんなものは置いていない。こんな寒い時期にあるわけないよなあ。もう一軒、道を渡ったところのファミリーマートに行ってみる。凍ったカルピスウォーターがあった!これでよし。少し解けてくると膝に当てやすく、なかなか具合がいい。水も漏れないし。

そろそろ月に一回のヒアルロン酸注射の効果が切れる頃なので、試合の前の土曜に医者に行かねば。そういえば、年に1回くらいはレントゲンで骨の様子を見た方がいいということで、今度行くとき撮ることになっていた。この日は下の子の小学校最後の学習発表会。子供の出番を見届け、受付終了ぎりぎりに医者に駆け込む。やれ忙しい。両膝に注射を打ち、レントゲンを撮る。一年前に撮ったものと並べて見せてもらった。変形性膝関節症は特に骨の変形が進むでもなく、ほぼ変わらず。とりあえずよかった。医者が言うには、サッカーをやるのだったら、今の週に一回のジムでの筋トレでは足りず、週に3回くらいやった方がいいとのこと。でもそんなに通えないしなあ。うちでは歯を磨きながらヒンズースクワットをやったりしているが、それの回数を増やすか。

潤滑油が入ったからか、関節の動きも滑らか。コンディション上々。
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# by over_the_hills | 2011-11-30 21:13 | Diary | Trackback | Comments(0)
Basketball
高校のバスケ部OBの練習会、そのあとに飲み会があると誘われ、参加してみた。バスケットをやるのは9年ぶり。普段サッカーをやっているのでまあ体は動くだろうと思ったが、バッシュがない。ちょうど少し前に体育館でのサッカーの練習があり、そのために買ったフットサルシューズがあったのでそれで事足らせることにする。女子(?)の練習参加者は、同期のキャプテンと、一つ下の後輩と私を入れて三人。同期の方は大学では体育会に入り、今でも時々この練習会に出ているらしい。後輩の方は「卒業以来です~。確実に動けません。」と言っていたが、新しく買ったバッシュを携え、なんのなんの、軽やかにプレーしていた。子供を連れて来てる人も結構いて、一緒に練習する子もいれば周りを駆けずり回る小さい子もいて、7~8人はいただろうか。
 全体で始める前にシュート練習をしてみたら、数本打ったところで感覚が戻ってきた。スリーポイントシュートも入った!シュートがシュルッと入ると何とも気持ちがいい。ルールは、私がやっていたころからだいぶ変わってしまった。試合は前後半ではなく、クォーター制になり、シュートが入った時以外でもバイオレーションがあればエンドラインからのスローインがあり、女子はボールのサイズが7号から6号へと小さくなった。
 さて、練習開始。ランニングシュート、ジャンプシュート、3対2などをやってからゲーム。組み合わせは男子同士のゲームと、女子vs小学校3年と5年の子で、足りない分は男子に入ってもらうことになった。本当は男子に混じってガチでやりたかったのだが、まあ、若手にしてみたら(といっても30代か?)、40代のおばさんと一緒にやるなんて物足りないと思っても仕方あるまい。小学生には手加減をする必要があったが、まあ、これくらいがちょうどよかったのかもしれない。サポーターをしていたにもかかわらず、やはり膝に負担がかかる。そうかあ、バスケはジャンプがあるところがサッカーとは違うと体感。翌日、すねや腰など、いつもと違うところが少し痛む。
 飲み会は、うちの代、一つ下と二つ下の代の人たちで開催。私たち練習組は遅れて到着。現役時代は後輩の男子となんて話したこともなかった。いや、みんな大人になったね。
 その席に学校の先生をやっている人が二人いて、バスケの指導もしているらしい。彼らが言うには、今や中学の部活に入ってくるのはミニバス経験者ばかりで、中学から始める子はとてもそんな中ではやっていけないらしい。それってかえって門戸を狭めているようでちょっと寂しい気がする。中学生くらいになるとぐんと運動能力が伸びて、部活を始めたらいきなり化ける子がいてもおかしくないのに。実は私がバスケ部に入ったのも、自分では全く想定外の展開であった。そして、それがなかったら、今サッカーをやっていないだろうと思うと不思議である。でもやはり膝に悪いことがわかったので、バスケはこれでおしまいとしよう。
 
# by over_the_hills | 2011-11-29 08:22 | Diary | Trackback | Comments(0)
気分だけでも
新しいチームに移ってある意味カルチャーショックだったのが、「試合3日前から禁酒」のお達し。体のコンディションを万全に整えるためである。前のチームでは、2時とか3時まで飲んでました~と言って試合にやってくる人もいたものだが。
試合は日曜なので、そういう時は木曜日以降は律儀に麦茶なんぞを飲んでいた。このハングリー精神で試合へ向けて気持ちを高めていくのがいいぜ、と思いながら。しかし、今年の夏はめちゃめちゃ暑く、正直、あ~ビールが飲みたいなあとも思った。あるときチームの人に聞いてみると、どうしても飲みたいときはノンアルコールビールを飲んでいるとのこと。なあんだ、そんなにストイックなわけでもないんだ、とちょっと拍子抜け。ノンアルコールビールなんてまずいものだと思っていたら、最近はいろいろ出ていて、白っぽい缶のヤツがなかなかいけるとか。
スーパーで探すと、それらしいのがあった。サントリーのオールフリー。アルコール度数0.00%のビールテイスト飲料、カロリーゼロ、糖質ゼロ。

ビールと比べてしまうと厳しいが、そんなにまずくはない。それっぽいのどごしと、プハッ~、という満足感を得られる。これはなかなかいい。

で、群発頭痛である。痛みが出る時期は飲むと必ず痛くなってしまうのでアルコールは控えていた。でもこれからはオールフリーを飲んでいればいいのだ。
もう半月以上アルコールをとっていなかったら、体も引き締まってきた。

# by over_the_hills | 2011-10-22 16:11 | Diary | Trackback | Comments(0)
Cluster Headache Strikes Back
また群発頭痛がやってきた。2年半ぶりだ。
ビールを飲んだあと、右頬骨の奥に鈍い痛みを感じる。ああ、これは...まだ本格的な痛みではないが、この感触は間違いなく群発頭痛だ。やれやれ。もう一通りわかっているものの、ここ数年で治療法に進展があったりするかもしれないと、一応ネット検索してみる。前から、病院で注射を打ってもらうのが一番即効性があるということであったが、痛くなるたびいちいち病院に行っていられないし...と思っていたら、今は自己注射キットというものがあるらしい。これだ~!
自己注射指導を含む頭痛診療を行っている施設を検索できるサイトを発見。職場から近いところに丁度いい病院があった。早速行くことにする。医者に症状を話し、群発頭痛でしょうということで、希望通り自己注射キットを処方してもらう。イミグランキット皮下注3mg。練習用のカートリッジで使い方を教わる。また、群発頭痛の疑いが濃厚だが、頭に変な腫瘍などないか、念のためMRIを撮った方がいいと言われ、紹介状を書いてもらい、メディカル・スキャニングの予約を取ってもらう。ここまではスムーズにいった。
自己負担五千円ちょっとの支払いを済ませ、病院の最寄の薬局に行って処方箋を出すと、この薬は置いていないという。付近の薬局に問い合わせてくれたが、やはりないらしい。親切にも、問屋に連絡して置いてある店を探してくれた。30分くらい待ってやっと、電車で一駅行ったところに置いているとわかり、そちらに向かう。薬代が1万円以上してびっくり。でもこれで万全だ。

病院でもらった箱には「スターターパック」とある。ちょっとわくわくするような響き...中身はペン型注射器と収納ケース、練習用カートリッジ、説明DVD、記録ノートなど。


これでいつ群発頭痛が来ても大丈夫、と臨戦態勢でいたのに、なかなか本格的な痛みが襲ってこない。つまらないなあ、なんて思っていたら、ある日突然、朝起きてから20~30分くらいにきた。早速太腿の外側に注射。数分で効いて痛みがなくなる。おおっ~!これはいい。その数日後、また朝起きてしばらくしたらズキズキときたので注射。ちゃんと効く。嬉しいなあ。
その翌週と翌々週の朝にまた痛くなり、今のところ計4回使用。注射した直後に、顔にサーっと薬が上がってきて、「血の気が引く」の逆のような感じがしてちょっとクラクラする。それなりに強い薬なんだろう。本当に痛いときだけ使っている。
薬は1カートリッジ2回分x5個=10回分が、保険が効いて3割の自己負担で10,570円。フルの値段だとワンショット3,000円以上ということか。でもすぐ効いて、群発頭痛発症中の quality of life がかなり改善した。
# by over_the_hills | 2011-10-16 11:43 | Diary | Trackback | Comments(0)
"Stuff"

オーディオブック "Stuff: Compulsive Hoarding and the Meaning of Things" by Randy Frost, Gail Steketee を聞き終える(9時間8分)。
日本語訳はないようである。"Hoarding"(ホーディング)、日本で言う「ゴミ屋敷」状態に至る人たちについて研究をしているマサチューセッツSmith Collegeの教授ランディ・フロスト氏と、Boston University School of Social Workの教授ゲール・ステケティー女史が、いろんな症例を挙げながら分析している。
一口に「散らかっている」といっても人によってその程度の認識が違うため、彼らは9段階の物が溜まった部屋の写真を参考用に用意。自分や家族の部屋は何番目のレベル、と指差せばすぐにわかるようにした。
ちなみに、レベル4以上は専門家の助けを求めた方がいいそうで。
(写真はamazon.comのサイトより)

1.問題なし

2.散らかり始めているが、専門家に掛かるほどではない。

3.常にこの状態なら、軽い溜め込み症状。

4.中くらいの溜め込み症状。

5.深刻な溜め込み症状。

6.とても深刻な溜め込み症状。

7.重度の溜め込み症状で、相当な支障がある。

8.かなり重度の溜め込み症状。

9.極度の溜め込み症状。


溜め込みにはいくつかのタイプがある。
1.物を捨てるのはもったいない、いつか使うかもしれない、と思う。捨てることに罪悪感を感じる。
2.重要な情報を失うことへの不安。
3.物を重要な人や場所、出来事に結び付け、感情的な意味づけをしている。物があたかも自分の一部のように感じる。
4.普通の人が見過ごしてしまう色・形・感触などの「美しさ」を物に見出す。

上記の特徴は、程度こそ違うものの、誰にでも思い当たるだろう。私は別に溜め込みはしないが、特に2番目が当てはまる。

溜め込みと幼い頃のトラウマは、多少関係があるようだ。溜め込みは、潔癖症などの強迫性障害(Obsessive-Compulsive Disorder, OCD)の一種だと思われていたが、かなりちがう部分もある。実際、溜め込み屋のうちOCD患者は2割ほどでしかない。溜め込み屋の約50%がうつ病だが、うつが溜め込みを引き起こしているのではないらしい。

その他、
・単に自分の物を捨てられないだけでなく、わざわざガラクタを拾ってくる人もいる。
・盗み癖がある人もいる。本人は「借りている」だけと認識しているが。
・ギャンブル依存症の人には溜め込み屋が多い。
・悪臭やゴキブリ、ネズミの被害を訴える近隣の苦情でゴミ屋敷から物を強制撤去しても、すぐに元通りになる。人によっては突然物を奪われたショックで自殺する人もいる。
・溜め込み屋のほぼ全員が完璧主義者。そして決断ができない。
・あるものを手に入れたときの状況、誰と一緒にいたか、その日に自分が着ていた服などのディーテールまで事細かに覚えていたりする。物を捨てると、それに付随する記憶までなくなってしまうと心配する。
・溜め込み屋は普通の人のように分類して考えず、視覚的・空間的に物をとらえる。視覚に頼っているため、物をしまいこんで見えなくなることを嫌う。
・溜め込み屋は気が散りやすく、ADHD的な傾向がある。
・親が溜め込み屋だと、子どもは深刻な影響を受ける。
・自分で家にいるときは物がまるで目に入らないが、他人が家に来ると大量の物の山を意識してとても恥ずかしく思う。客が帰ってしまうと、また物が気にならなくなる。
・原因は遺伝的要素と、環境によるものと両方ある。
・原因が一つでもなければ、解決法も決定的なものがあるわけではない。

"Animal Hoarding" と言われている、動物(主に犬や猫)を「溜め込む」人もいる。極度の場合は家の中に何百匹も飼い、糞尿が散乱したとても不潔な状態で、常に死体が転がっていたりする。たいていは野良猫を拾ってくる。それも積極的に「かわいそうな」猫がいないか探し、「保護」する。例え飼い主がいても、適切に世話をしていないと判断したら、勝手に連れて帰ってしまう。そして、自分はとてもいいことをやっているのだという自負があり、自分には動物の気持ちを理解する特別な能力があると思い込んでいる。かわいそうな動物を救ってあげたはずが、悲惨な環境でギュウギュウ詰めにして飼っている皮肉な状況になってしまう。でも動物を保護するのは自分の使命だと思っているからやめられない。

いろんな困った人たちの例を挙げながら、著者達のまなざしは温かい。ゴミ屋敷の住人は本人が好き好んでやっているわけではなく、依存症のようにどうしようもない症状で、周りのサポートが必要だとしている。

とても面白かった。へたな片付け本より効果があるかもしれない。
# by over_the_hills | 2011-10-05 22:28 | Audio Books | Trackback | Comments(0)
『阿部昭集第十四巻』 
『阿部昭集第十四巻』 岩波書店を読了。

評論・随筆五

1986年
・夏日小景
・小川国夫 『流木集』
・葛西善蔵の教訓
・動物園の空
・小沼丹 『埴輪の馬』
・別れも楽し
・画家の文章 『中川一政文選』(筑摩叢書)
・文学青年
・歳末の訪問者

1987年
・「ふらて」 の終焉
・論争としっぺ返し
・実用とフェア
・猫に名前をつけすぎると
・夫婦の会話
・加島祥造 『英語の中の常識』
・我が家のガイドライン
・短篇小説の青春
・清岡卓行 『別れも淡し』
・早春
・動物のいる暮らし
私の三冊 岩波文庫から
・テレビ中(あた)り
・幼い母の写真
・テレビ局で鍛えられた文学
・エッセーの楽しみ
・あるチェーホフの読者
・人類のジレンマ
・バルザック 『役人の生理学』
・ベースボールの歌
・自分の時間
・風の音楽
・小説の定義
・昭和一と桁の心
・リーダーの挿絵
・活字の顔
・小出橧重
・初冬雑談
・中里恒子

1988年
・ランナーの孤独
・現代日本語雑感
・涙
・『傾斜 他一篇』 解説
・時代の空気 私の好きな短篇
・新作 『挽歌と記録』 のこと
・花・鳥・風・月
・(読書好日) デイモン・ラニアン 『片目のジャニー』 『リリアン』 太宰治 『グッド・バイ』 葛西善蔵 『椎の若葉』
・桜桃の頃
・私の古典 心に残る一冊
・ワープロ余談
・電話一本で
・わが短歌礼讃
・或る「スイス」地区
・(秋風の歌) 啄木の晩年 千樫の闘病 光太郎の返歌 茂吉と昭和
・性に合う辻堂海岸の空気

1989年
・隠遁の説
・生涯一篇
・(山水鳥話) リゾート 夜の海 樹木の死 かくれんぼ
・解き得ぬ心
・中里さんの詩心
・花には花を 中里恒子展によせて
・耕治人全集を祝して
・日本とニホンのあいだ

・短詩型

・司令の休暇 断章

絵本の文
・こんなものひろった
・大きな木の下で

短編映画脚本 「藤戸」(準備稿)

習作
・天幕の下にて
・月の出なし
・歯と蹄

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やっと全14巻を読み終える。確か去年の暮れに第1巻を借りたので、約9ヶ月もかかってしまった計算になる。図書館の貸し出し期間が2週間。そのペースで行けば7ヶ月ともくろんでいたが、結局毎回貸し出し延長していた。ネットでクリックすれば済むのだから、なんとも楽だ。

さて、なぜ阿部昭か?それが、特にこれといった理由はないのであった。
とある本に、どの作家でもいいから、誰かの全集を読み通す経験をしておいたほうがいい、とあって、じゃあやってみようかと。「個人が、どこまでバリエーションのあるもの、あるいは一貫性のあるものを書くことができるのかを肌で知っておくと、その後の本の読み方や選び方が一気にレベルアップする」そうで。
どの作家にするか、というのはほとんど消去法。自分で買って読むわけではないので、図書館にそろっている中から選ぶことになる。まず、作品が多すぎて全集が二十何巻とかになるものはパス。蔵書があっても、書庫に入ってるのはいちいち出してもらわなければならず、気がひける。全集が数冊というのも少なすぎて意味がない。十数冊あたりがちょうどいいかなあと。そしてやはり、ある程度作品に興味を持てる人でなくては挫折しそうだし...短編小説家のものなら、飽きずに読めそうな気がした。そうだ、以前読んだ沢木 耕太郎編 『右か、左か―心に残る物語 日本文学秀作選』に載っている作家だったらいいかも、と思い、上記条件にあてはまったのが阿部昭であった。この 『右か、左か』のあとがきで、沢木氏は阿部昭の「天使が見たもの」が自分にとって完璧な短篇小説と思える一作である、と書いていた。正直、私には他の作家の収録作品に比べこの短篇がピンとこなかったので、とても意外に思ったのであった。阿部昭の全集を読めば、沢木氏が褒め、私には見えなかったものがわかるかもしれない、という気もした。

そして、阿部昭集第一巻の巻頭小説、「子供部屋」にはガツンとやられた。子供の作者と母親が、知的障害者の兄に振り回される日々を描いた作品で、フィクションではなく、ほぼ実際にあったことというのが否が応でもわかってしまうリアリティーあふれるディーテール。しょっぱなから、なんともヘビーな内容である。全集を次々と読み進めるにつれて、兄の話も含め、いくつかの同じネタが何度もしつこく出てくる。多少結末が違ったりというバリエーションはあるのだが、おそらく阿部昭の実体験に基づいたものであろう。

そもそも、全集を読むのがいい、と言ったのは小林秀雄らしい。

読書の楽しみの源泉にはいつも『文は人なり』という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、一番手つ取り早い而も確実な方法なのである。一流の作家なら誰でもいい、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手頃なのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。

そうすると、一流と言はれる人物は、どんなに色々な事を試み、いろいろなことを考へてゐたかが解る。彼の代表作などと呼ばれてゐるものが、彼の考へてゐたどんなに沢山の思想を犠牲にした結果、生まれたものであるかが納得できる。単純に考えていたその作家の姿などはこの人にこんな言葉があったのか、こんな思想があったのかという驚きで、めちゃめちゃになってしまうであろう。その作家の性格とか、個性とかいうものは、もはや表面の処に判然と見えるというようなものではなく、いよいよ奥の方の深い小暗い処に、手探りで捜さねばならぬもののように思われてくるだろう。

僕は、理屈を述べるではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしてゐる内に、作者にめぐり會ふのであって、誰かの紹介などによって相手を知るのではない。こうして、小暗い處で、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握ったといふ具合な解り方をして了ふと、その作家の傑作とか失敗作といふ様な區別も、別段大した意味を持たなくなる、と言ふより、ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるといふ様になる。...書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えて来るのには、相当の時間と努力とを必要とする。人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返す事、読書の技術というものも、其處以外にはない
(「読書について」より)


阿部昭の繰り出す同じモチーフや自伝的エピソードに何度も接していると、好む好まざるにかかわらず、まさに小林秀雄の言う、「手はしっかりと握ったといふ具合な解り方」になってきて、うわぁ~...。阿部昭は昭和一桁生まれで、私の父と同世代である。同じ話をしつこく何度も言うところが一緒だなあ、とちょっとおかしい。

これにかかずらっている間は他の本はほとんど読めず、本屋にもあまり行かなかった。最終巻を図書館に返し、達成感と解放感を味わう。さて、今度は何を読もうか?



# by over_the_hills | 2011-09-25 09:28 | Books | Trackback | Comments(0)
『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎 x 大澤真幸
講談社現代新書の『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎 x 大澤真幸 を読んだ。

ボケとツッコミの要領で、大澤氏が質問し、橋爪氏が答えるという対談形式の本。普通のクリスチャンなら怖くて聞けないようなことまで取り上げている。前書きに、
今ある程度近代化した社会の中で、近代の根っこにあるキリスト教を「わかっていない度合い」というのをもしIQのような指数で調べることができたとしたら、おそらく日本がトップになるだろう。それは日本人が特に頭が悪いということを意味しているのではない。そうではなくて、日本があまりにもキリスト教とは関係のない文化的伝統の中にあったことがその原因である。

とあるように、誰でもキリスト教には釈然としない部分があると思う。素朴な疑問について、わかりやすく答えているところが、一番肝心なところをするりと避けるキリスト教の入門書とちがうとある。非常に面白く、また読みやすかった。

本著で気になったポイント:

・一神教は、たった一人しかいない神(God)を規準(ものさし)にして、その視点から、この世界を視るということ。人間の視点で見上げるだけではだめで、神から視たらどう視えるか考えて、それを自分の視点にする。多神教はあくまでも人間中心。

・仏教は、自分達を取り巻いている宇宙の法則を、どこまで徹底的に認識したかが勝負。でも法則とは対話はできず、それを言葉にするのも困難。ブッダは量産できず、別な人間は最初から始めるしかない。

・「アーメン」はもともとユダヤ教のもので、「その通り、異議なし」という意味。新左翼が「~するゾー」「意義ナシッ!」とやっているのと同じ。

・サタンは「反対者」「妨害者」という意味で、神への信仰を検証する存在。おどろおどろしい悪魔ではなく、「役割」にすぎない。

・人間が権力を持つことを警戒し、権力を肯定しないのがユダヤ教の特徴。絶対的なヤハウェのもとで王を含めたすべての人が平等化されるので、一種の民主主義が実現。

・山本七平さんが挙げている例。戦時中、フィリピンで米軍の捕虜になったとき、「進化論を知っているか」と聞かれる。「日本人はみんな知っている」と答えると、アメリカの将校はびっくりする。なぜ進化論と、天皇が現人神であるということの両方を信じることができるのか理解できない。日本人は矛盾したことを信じていると気がつかないし、気にしない。

・社会が近代化できるかどうかの大きなカギは、自由に新しい法律をつくれるかということ。ユダヤ人は、ユダヤ法に書いてあるか、イスラム教徒はクルアーン[コーラン]やスンナに書いてあるか、イスラム法的に正しいかをまず考える。キリスト教は禁止されていないことは「できる」と考える。

・キリスト教徒だけが新大陸に大挙移住したのは、旧大陸でいじめられたから。中国人もインド人もアラビア人も、新大陸に向かう積極的な動機を持たなかった。

・日本の神道みたいなのは山には山のカミ、川には川のカミなどがいて、工事をするのにも必ず地鎮祭をするが、一神教では、神は世界を創造したあと出て行ってしまったので、世界では人間がいちばん偉い。世界は神がつくったが、そのあとはただのモノ。そのなかで人間が理性を持っているという認識から、自然科学が始まる。特に敬虔なキリスト教徒ほど、世界は神が創造したという信念に基づき、優秀な自然科学者になる。優秀な仏教徒や儒教の官僚などは自然科学者にはならない。

・マルクス主義は神がいないだけで、ほとんどキリスト教と同じ。教会の代わりに共産党がある。やがてやってくる世界革命は、終末とよく似ている。プロレタリア/ブルジョワの二分法も、救済される/されない、の分割線。全体がキリスト教の部品装置でできている。


なるほどと思うところがいっぱいあったの本なのだが、アマゾンのレビューを見ると内容に問題があるとか。他の類書で多少知識を補う必要があるかもしれない。

# by over_the_hills | 2011-09-16 07:07 | Books | Trackback | Comments(0)


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